風日晴和

毎日楽しく忙しく

小説『正欲』朝井リョウと映画『正欲』(ネタバレしてるかも)

こんな本読んだよ。

正欲 朝井リョウ

正欲 朝井リョウ

多様性多様性と印籠のように掲げられる以前、『エッフェル塔に恋をして結婚した女性』のドキュメンタリーを見たことがある。

『理解しがたいけど世界は広いからそんな人もいるもんだ』って感じの演出がされていたように覚えている。

茶化すことなく、否定することなく。

でも、他人事として。

わたし自身もその番組の作り手と同じように茶化す気も否定する気も無いけれど他人事だった。

世界のどこかにいるかもしれないけれど、わたしには関係ないこと。

 

そんな価値観で生きてきたのに、ここ最近急に多様性の理解がどーのこーのと言い始めたことに違和感を感じてた。

 

茶化したり、否定したり、排斥しようとするのは間違いだけど、ことさら理解しようとしたり寄り添ったりしなくてもいいと思うの。

ただ、『そうなんだ』だけで、充分ではないかと。

 

朝井リョウさんの『正欲』を読んだ時の感想が『性欲の対象が人間でないだけで世界のすべてに疎外感を感じるもんなのか?』だった。

ただ、この小説は成長物語でもあって、子どものころから感じていた疎外感を大人になるにつれ飼いならし同志を見つけて生きていくことを選ぶ。

 

主人公の2人は異性でありながらお互いに性の対象では無い。そこで世の中に放っておいてもらうために『普通の人』に擬態することを選ぶ。

木を隠すには森の中。

でも、その隣の木はその擬態を見破る。許さない。

お前は自分たちと同じ木ではないと。

光合成をしてないじゃないか、根を張ってないじゃないかと。

 

どうして放っておいてあげないんだろう。

別に誰の迷惑にもならないのに。

 

擬態していくことを選んだ二人が新たな仲間を探しトラブルに巻き込まれる。

誤解なのだけど、理解してもらえないからと口をつぐんだまま物語は終わる。

 

小説では『ある気づき』がある。映画ではその描写が無くて残念でした。

あれが無いと、彼の成長がただの開き直りになってしまうんじゃないか。

開き直りも、それはそれで成長ではあるんだけど。

 

 

小説も映画も面白かったちゃー面白かった。

でも、イライラするの、主人公たちに(笑)

いつまでもグズグズとしてて(笑)

前述したエッフェル塔に恋をした女性みたいに自分の愛を突き通せばいいのに。

と、思いつつ。

彼らの問題は『恋愛対象』ではなく、あくまでも『性の対象』であって、エッフェル塔に恋をした女性のようにその対象を愛してはいないことだったと思う。

 

そして、つくづくと。

他人様のプライベートに立ち入らないという、至極当たり前なデリカシーを持ち続けようと思いました。