風日晴和

毎日楽しく忙しく

思い出す。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

 

敬老の日です。

2019年の日本人の平均寿命は女性で87.45歳、男性は81.41歳。

多分そう遠くない未来に平均寿命が90歳を超えるでしょう。

事故や予測のつかない病気にならない限り、自分自身は長生きすると思っています。

 

生まれた時には既に父方の祖父母はなく、伊勢湾台風で写真などの祖父母を感じられるものが一切ありませんでした。

母方の祖父も私が生まれてすぐに亡くなっていたのし、写真も見たことがありません。

お墓参りの多分2回くらいしか行ったことがない。

なんとも冷たい孫だなぁ。

 

おばあちゃんと呼んだ人は母方の祖母だけ。

鹿児島出身の海女でした。(というか、目の前が海だったので自ら食料を調達していたらしい)

祖父は富山の質屋の跡取りだったそうです。

その二人がどこで出会い、何故満州に渡ったかは定かではありません。

叔母から聞いた話だとミシンが使え洋裁が出来た事で日本中を仕事で回っていたいなばおごだったようです。

母や叔母にもっとちゃんと聞いておけば良かったな。

どんなファミリーヒストリーがあったんでしょう。

 

終戦をむかえ、満州から祖母と母と叔父と叔母は必死の思いで日本に帰ってきました。途中、祖母は中国の人に子供を置いていけと言われたそうです。

 

もし、祖母がその手を離していたら、私は存在しなかったでしょう。

 

きつい人ではあったけれど、お茶目でチャーミングな祖母でした。

オルガンの発表会の白いレースのワンピースを作ってもらいました、コール天の紫色のマント、ケープを作ってもらいました。

祖母は背が低かったので、その血を男ながら引き継いだ兄は『おばあちゃんの事は大好きだけど、背が低い事だけが嫌』と祖母に言ってました。

その時、祖母は何と答えたかは忘れちゃいましたが、男の孫は兄だけだったので特別可愛がってたのを思い出します。

 

祖母が亡くなってそろそろ28年になります。

鹿児島で生まれ、満州で子供を生み、鹿児島で子供を育て、大阪に渡り、横浜で孫たちに愛され、埼玉で最後の時間を過ごし、今、富山のお墓で眠っています。

 

何ごともなければ、この連休に初めて旦那さんを連れて、母の傘寿、父の喜寿のお祝いと報告をするために富山にいく予定でした。

 

おばあちゃん、会いに行けなくてごめんよ。

私も兄ちゃんもいとこ達も、孫たちはみんなおばあちゃんの事が大好きだよ。

特に私と兄ちゃんにとって、おばあちゃんと呼べる人はおばあちゃんだけだったし、特別な存在でした。

 

 

 今、おじいさま、おばあさまがご健在ならたくさんお話を聞いてあげてくださいね。

思いもよらないお話が聞けるかもしれません、子供の頃は興味なかった話が興味深く聞けるかもしれません。

チャンスを逸した私は、今更ながら後悔してます。