うちの近所のおばちゃんはわたしの事を娘のように可愛がってくれている。
実家に帰省するたびに、お小遣いを包んでくれたり、山のようなお土産を持たせてくれていた。
まえのおばちゃんが必ず『なごやん』というお菓子を持たせてくれていて、それを職場のお土産にしていた。
去年、旦那さんと帰省した時もおばちゃんはなごやんを持たせてくれて、いつもだったら(COVID-19の前は5月にわたしだけ帰省していた頃)それはわたしの職場へのお土産になっていたのに、その時は旦那さんに奪われてしまった。
そしてそれは、とっても好評で、今年も前のおばちゃんがなごやんを持たせてくれるかなぁって、ちょっと楽しみにしていたの。
でも。
高齢者の1年がどれほど長いか・・・・。
去年までのおばちゃんは自転車でわたしのためになごやんを買いに行く元気があったのに、今年はもうその元気も気力も失っていた。
『なごやん』が欲しいわけではない。
ただ、それがおばちゃんの元気のバロメーターだった。
うちの両親もそうだけど、時はちゃんと流れているし、老いは残酷にも平等にやってきている。
滞在中。
わたし達が名古屋に帰る計画を話す合間合間に父も母も『それまでに生きとったらね』と言っていた。
去年は聞くことのなかったフレーズ。
旦那さんが職場の人へのお土産になごやんを購入していて、その姿を見てちょっと切なくなる。
ああ、そっか。
もう、おばちゃんになごやんをもたせてもらうことは無いんだな。
その切なさは、身勝手なものだと重々承知だけど。