戦争を始めるのは簡単だけれど、終わらせるのは難しい。
池上彰さんがある番組で仰っていました。
日本も頭の上でドンパチするのは終わっているのかもしれませんが、その戦争のために行方知れずになった人は見つかっておらず、傷ついた人は癒えておらず、病気になった人は苦しいままでいる。
それは、本当の意味で終わったことにはならないのではないでしょうか。
日本に原爆を落としたことを、『早く戦争を終わらせるために必要だった』と言った人がいました。
それが身近な同世代の日本人だったので、ぞっとしたのを覚えています。
同じように日本で教育を受けているはずなのに、その認識の違いに震えました。
そう言った人に問いたい。
『ロシアが、プーチンがウクライナに核爆弾を落としても同じことが言える?』
戦力を供給する国がある。平和の使者面した偽善者たち。
長期化する戦争。疲弊する国。投げ出される人々。
『この戦争を早く終わらせるために核を落とす』
同じセリフをプーチンが言っても、『そりゃそうだよね、アメリカやイギリスはそうやって先の戦争を早く終わらせたんだから』っていうんだろうか。
同じことなのに、アメリカやイギリスが落とした原爆は正義でロシアの核は悪だっていうんじゃないだろうね。
戦争なんて始めてしまえば、どちらが悪くてどちらが正義かなんて関係ない。
どちらにも言い分はあるし、どちらにもその国なりの正義がある。
アメリカにだって、日本にだって、イギリスにだって、ドイツにだって、イタリアにだって、ロシアにだって、ウクライナにだって、その国なりの正義がある。
こっち側から見たら、あちらが悪でこちらが正義なのかもしれないけれど、あちらからしたらこっちは悪なんだろう。
そのあおりを食うのはいつだって、市井の人たち。
原爆が落とされて78年経っても戦争は終わっていない。
ただ、頭の上でドンパチやっていないだけ。
あつい夏の日に、
平和を願う。