風日晴和

毎日楽しく忙しく

記憶に残っている、あの日。②

21才になったばかりの私は小さな劇団に入りたての役者でした。

その劇団は日本全国を廻る泊りがけでの公演も多かった、旅回り一座。

 

私に与えられた役は端役も端役、台詞だって二つ三つあるかないか。

それでも、毎日舞台が観ることが出来て、舞台に立つことのできる生活は幸せ。

 

ある公演の終わり、さぁ帰ろうかと身支度をしていた時、ふと思ったのが、

『毎日、お芝居が出来て幸せだなぁ』

それは、口に出ていたらしく先輩役者さんたちはびっくりして、そして笑ってた。

 

旅公演を終えて、何日かぶりに家に帰ると、留守番電話にいくつかのメッセージが入っていました。

 

再生ボタンを押すと、近所のおばちゃんの泣きながらのメッセージ。

 

『お母さんが倒れて救急車で運ばれた!』

 

すぐに折り返し電話したら、近所のおばちゃんが出ました。

私からの電話を待っていてくれていたらしい。

 

ただ、残念ながら要領を得ない。

担ぎ込まれた病院を聞いて、新幹線に飛び乗りました。

 

母は脳内出血を起こしていたそうです。

 

今は脳に充満した出血を引くのを待つだけ。

ベットに横たわり意識が混濁している母。

その姿を何もできないで見ているだけの、父と兄と私。

 

 

処置が終わり、命の危険はとりあえずは無くなったので、私たちは一旦自宅に帰ることに。

 

兄は兄の車で、私は父の車に乗って家路につく。

 

外はもう真っ暗。

朝に電話を受けて、新幹線に飛び乗って、長い長い一日でした。

「毎日お芝居が出来て幸せだなぁ」と呟いてから、ほんの数時間。

見慣れたいつもの道、悲しくて悲しくて、私は嗚咽を抑えることが出来無い。

いろんな管に繋がれた母の姿。元気だったころの母の姿。

後から後からいろんなことが思い出されて、涙が止まらない。

運転している父は、

『そんなに泣くなぁ』と震えた声で、手ぬぐいで目を拭いた。

 

夜の道。

街の明かりがぼやけて見えた。

記憶に残っている、父と泣きながら帰った、あの日。のあの情景。

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

父と母の思い出話にお付き合い、ありがとう。

瞼の母ちっくに書いていますが、今も(2021)父、母ともに名古屋で元気に暮らしております(笑)