うちの実家は魔窟です。いわゆるゴミ屋敷。
買い物が好きな母と家のことに無頓着な父。
日常的な掃除はしても、ため込んだ不必要と思えるものを捨てることがない。
結果。
モノがあふれる。
幸か不幸か、実家を建てて50年。
引っ越しすることもなく過ごしてきた実家にはわたしの産着まで残っている。
一時期父が何を思ってか、兄やわたしに迷惑を迷惑をかけてはいけないと断捨離を試みた。
でも、思い付きでむやみやたらに捨てただけで基本的な解決に至らなかった。
わたしも年に一度帰れた頃は、滞在期間の半分は家の片づけをしていた。
でも、それをやっても母は喜ばないのさ。
賞味期限が切れているから捨てようとすると、もったいないと悲しそうな顔をするし、山に置かれているお洋服を着るものと着ないものに分けようとすると、全部着ると悲しそうな顔をする。
結局。
母のためにと思って片付けようとしても母は悲しい思いをしてしまうことに気が付いた。
父からはいろいろ捨ててくれ~と依頼されましたが、母もわたしも悲しい思いをするだけ。
そう悟ったわたしは父に、
『家のことはお母さんの好きにさせてあげてください。わたしが責任をもって片付けます。捨てることで幸せになるならいいけれど、子供たちに迷惑をかけないためにと無理をして悲しい思いをするくらいなら、片付けんでもいいよ』
と、言いました。
親が『立つ鳥跡を濁さず』の心境で断捨離するのはいいの。
でも、子供に迷惑をかけないためにと断捨離するのは、ちょっと違うと思う。
いいよ、迷惑かけても。
親子なんだから。
捨てられないには捨てられない理由があるんだよね。
わたしの子供の頃の写真を胸に抱き、『こんなに可愛いのに捨てられない』と言った母の手から鼻垂れたぶちゃいくなわたしの写真を奪い取るなんてできない。
本音ではそんな写真、早々に抹殺したいけどさ。
愛おしいと思ってくれているのなら、どうぞ、その胸に抱いておいてください。
鼻垂れたぶちゃいくなわたしを可愛いと言ってくれるのはあなた達だけだから。
わたしはいつか、その片付けられなかったあれこれを片付けながら、独り泣くでしょう。
でも、それは不幸な涙ではないのです。
愛された証を確認する涙なのです。
断捨離は大事。
身の回りをすっきりするのはとてもいいことだと思う。
でもそれは、自分の生活をよくするためにすること。
無理にせんでいいんだよ。
あなたの大事なものは、あなたの大事な人にとっても大事なんだから。
実家の近所に父の従妹が住んでいて、数年前に病気で亡くなった。
一人息子である幼馴染が大型連休の時に片付けに来ていて、愚痴とアドバイスをくれた。
早いうちに片付けてもらった方がいいよ。
でも、わたしは知っている。
おばちゃんが幼馴染に迷惑かけないようにとやせ細った体で断捨離をしていたことを。
なので、その愚痴とアドバイスにちょっとムッとしてしまい、
『それも修行だよ』と言ったら、
ハッとした顔で、『50過ぎても修行かぁ』と笑った。
いま住んでいるとこのご近所さんも、うちの実家チックなお宅がある。
最近、おじいちゃまのお姿を見なくなって、代わりに息子さんらしき人が休日になると家の周りを片付けている。
その人も絶賛修行中のよう。
ありがたいことに、わたしの修行はまだ先みたい。
その時のために力を蓄えておこう。