『売文』
①つくった文章を売って収入を得ること。著述業。
②文章の代作または添削などで報酬を得ること。
保育園児だった頃、『小学校の本が欲しい』と言って、両親に『この子は本が好きなんだ』と、勘違いさせたことがある。
両親は『小学校の本』を『教科書』と思ったらしいけど、実際は小学館が発行していた『小学一年生』しかも付録狙い(笑)
そう。
そこそこ残念なお子さんだったのだ。
小・中・高の友人は本好きばかりだったので、彼女たちの影響でいろいろな小説を読むようになった。
その頃の友人と誰一人付き合いは継続していないけれど、その時に感想を言い合った小説は、いまも本棚の一番いい場所にいる。
中学時代は新井素子さんの作品の影響で詩を書き始める。
何かの拍子で同級生がそれを読み、ポロリと涙したことがある。
いま読むと黒歴史以外の何物でもないが、思春期の少女には思春期の少女にしかわからない何かがそこにあったんだろう。
詩に感動したわけじゃなく、敏感な乙女心のアンテナに引っ掛かったワードがあったんだと思う。
ただ、その出来事は残念な子をさらに残念な子にする結果となった。
わたしは人を感動させる力がある。という勘違い。
高校生になり、演劇にハマり、自分でも戯曲を書くようになる。
いつか、自分の戯曲が舞台で上演される日を夢見て。
舞台俳優を目指し上京して、本当に才能のある人、ちゃんと目標に向かって努力できる人に出会い、自分の甘さにボッコボコにされる。
自分が残念な子だとやっと自覚する。
ここらへんで、プライベートでなんやかんやとあり、旦那さんと出会って結婚し、時間にも精神的にも余裕ができたので、図書館通いが始まった。
それが、楽しくて楽しくて。いろんなジャンルの本を読んだ。
この頃は群ようこさんのエッセイや事件のルポルタージュも好んで選んだ。
少し経つと、パソコンが普及され始める。
悪筆で自分の字を見るのも嫌だったけれど、パソコンがあれば百人力。いくらでも文章が書ける。
当時はまだブログはあまりなく、自分でホームページを作ったりMIXIに登録して日記を書き始めた。
そこでしみじみと、文章を書くことが好きだと自覚する。
創作を継続させる力は無いど、別にいいじゃん、好きで書いてるんだから。
詩人になれなかったけれど、戯曲家にはなれなかったけれど、文章でご飯は食べられなかったけれど、わたしのへっぽこ日記を面白がってくれる人が確実に一人いる、それはわたし自身だけど(笑)
はてなブログでブログの記事を有料で販売できるサービスが始まった。
自分のつくった文章を売る。収入を得る。
それが可能になるかもしれない。
でも、わたしの肥大した自意識が『でも、だれも買ってくれなかったら恥ずかしい』という。
その一方で、『でも、いままで書けなかったもう少し突っ込んだ過激な文章を書けるかもしれない』とも言っている。
まったくもう。
悩ましいサービス、はじめやがって。