わたしは田舎の子なので信仰とか宗教は身近にあった。
お仏壇があって、お盆にはお墓参りに行って。
ただ、田舎とはいえもともとは埋め立て地なので歴史のあるお寺や神社は無く、唯一あったお寺は神社っぽくもあった。
いま思うと、不思議なお寺さんだったなぁ。(まだあります)
ちょうど、いま、名古屋場所をやっている。
個人的にお相撲は神事だと思っているので、金と欲にまみれた相撲協会の相撲なんざ、見る気はしない、しないけど、やっぱり神事であるとして思うのは、『イスラム教徒だった大砂嵐は神事である相撲を行うことに抵抗感はなかったの?』
仕事場にお父上が元力士だという人がいたので、そのあたりを聞いてみたら、『信仰のことはわからないけれど、職業だと割り切ってたんじゃないかな~』とのこと。
そんなもんかい。
フランスの学校では宗教的な意味合いのものは持ち込んではいけないと、クルスやヒジャブも許されないらしい。
そこまでしなくても…。とも思う。
信仰があるのに職業として割り切る人もいる。
信仰を排除しないと教育も受けられない人もいる。
信仰のせいで望まない妊娠を継続させられる人もいる。
信仰のせいで凶弾を打ち込む人もいる。
神様の言葉は複雑でわたしたちにはわからない。
でも、これだけはわかる。
神様は、お金なんて望んでいない。
神様は、人を区別しない。
神様は、その人の意思を尊重する。
神様は、人の死を望んでいない。
小さな種が芽吹き、育ち、実る不思議。
太陽が降り注ぎ、雨が降る、不思議。
それと司る神様と、その出来事に感謝する心。
それが本来の信仰なのに。
心の隙に入り込み、身ぐるみ剝ぐのは宗教ではないよ。
信仰というのは、もっと原始的で単純であるはず。