風日晴和

毎日楽しく忙しく

2008年6月8日のあの日。

2008年6月8日は義父が心臓の手術をするために東京の病院に入院していたのでお見舞いに行きました。

 

どんよりとした今にも泣きそうな曇り空。

オフィス街にあるその大きな病院は日曜日のせいか閑散としていて、あまり人もいませんでした。

でも、その先の方では救急車やパトカーのサイレンが絶え間なく聞こえてきて、なんだか騒がしいねと話していたのを覚えています。

 

その後、家に帰ってニュースを見て驚きました。

病院からそう遠くない場所で通り魔事件が起きたというのです。

犯行時刻を見ると、わたし達がお見舞いに行っている頃。

そういえばあの時の絶え間ないサイレンはこの事件があったからだと。

 

それから貪るように事件の概要を調べました。

あの青年はなぜこんな事件を起こしてしまったのか。

なぜ、この青年はこんなに孤独だったのか。

誰も、彼の声を聞く人はいなかったのか。

 

わたしは、ちょうどその当時の青年の年齢の頃、旦那さんもいて仕事もあるのに、とても孤独で孤独で孤独で、誰かにわたしを見てほしくてたまらない時期がありました。

その何とも言えない孤独を慰めてくれたのがインターネットから広がる広い世界でした。

でも、彼にとって、インターネットの世界ですら敵しかいなかった。

恨みを募らせ凶行に及んだ。

 

彼の敵は何だったのか。

彼は何を恨んでたのか。

 

インターネットに助けを求め、わたしは助かり彼は助からなかった。

その違いは何だったのか。

わたしはそれが知りたかったのかもしれません。

 

TVで映し出されたおまわりさんに取り押さえられている彼を見た時、わたしにはホっとしているように見えました。

 

やっと、自分を見てくれた。

やっと、自分の声を聞いてくれる。

もう誰も、自分を無視しない。

 

 

14年間、多くの人が彼を見、声を聞き、関心を寄せてきました。

彼が望んでいた状況だったのかもしれません。

その代償はあまりにも大きく悲しい。

 

2022年7月26日、死刑が執行されました。

 

 

 

 

もしも、この広い世界に孤独で孤独で孤独で、誰かに見つけてほしい人がいたら、ガラスの瓶に入れた手紙のように、この言葉が届きますように。

 

あなたを完全に理解できる人なんて、この世の中には存在しない。

でも、理解したい、話したいと思ってくれる人は必ずいる。

だから、話そう。

言葉は人を傷つける道具じゃない。

言葉をあなたをより深く知るための、わたしの事を知ってもらうための道具だから。

 

彼のように孤独の病に取りつかれる人がいなくなることを願って。